ウマ娘凱旋門賞シナリオが人気になっていますが、日本競馬界が凱旋門賞制覇にこだわるきっかけとなったのはエルコンドルパサーの大健闘の2着といえるでしょう。のちにナカヤマフェスタとオルフェーヴルが2着となり、現在も日本馬の凱旋門賞制覇は実現できていません。そんなエルコンドルパサーを史実で振り返っていきます。
世界的名血の外国産馬
エルコンドルパサーは世界的名血として競馬界の血統地図を塗り替えた父キングマンボ、母父サドラーズウェルズの名血。アメリカのセリで個人馬主が購入しました。
2歳戦ではダートで圧倒的な強さを見せ、4戦目にニュージーランドトロフィーで芝に転向し、勝利するとNHKマイルカップに出走。
2000m以上あった方が良いと陣営は考えていたものの、当時の日本ダービーは外国産馬は出走できなかったため、NHKマイルカップを選択しましたが、距離不安をものともせず、1番人気で快勝しています。
レース後、次の目標をジャパンカップに定め、休養を経て毎日王冠に出走。当時の古馬最強サイレンススズカを前に2着に敗れ、初の敗戦を喫しました。
ジャパンカップではサイレンススズカの故障の影響もあり、本命不在となるも、、エルコンドルパサーはスペシャルウィーク、エアグルーヴと共に3番手集団の中で並んで進み直線で突き放し、その後も最後まで失速することなくエアグルーヴとの差を広げ、2馬身半差をつけての優勝を果たしました。
日本最強となったエルコンドルパサーは欧州に拠点を移します。
5月にフランスのイスパーン賞で2着となると、そのままフランスに滞在。
7月にはG1・サンクルー大賞へ出走。前年のフランスダービー、アイリッシュダービーを制し全欧年度代表馬に選ばれたドリームウェル、前年の凱旋門賞優勝馬サガミックス、ドイツの年度代表馬タイガーヒル、ドイチェスダービー優勝馬でアメリカのブリーダーズカップ・ターフでも2着の実績があるボルジアといった全欧の一線級が揃いました。レースでは3、4番手追走から、最後の直線半ばでタイガーヒルを楽にかわし、同馬に2馬身半の差を付けて優勝。フランスでの初勝利を挙げました。
そして、前哨戦のフォア賞も勝利したあとに10月には凱旋門賞に出走。
当日は雨の影響で前例がないレベルの不良馬場となります。
エルコンドルパサーは現地でも2番人気に支持されます。
エルコンドルパサーは早めに直線で抜け出すも、後続に2馬身ほどの差をつけたまま最後の直線に入り、その差を広げていったが、残り400メートルあたりから外に持ちだしたモンジューが急追し、残り100メートルほどでこれに並ばれる。いったん前に出られたあとエルコンドルパサーはさらにモンジューを差し返しにいったものの、半馬身およばずの2着と敗れました。
モンジュー陣営は「硬い馬場では敵わなかった」とエルコンドルパサーの健闘を称えました。
モンジューはこの年のジャパンカップに出走。スペシャルウィークが勝利して日本馬の維持を見せたことまで含めて、競馬界を盛り上げてくれました。
予想する上でのエルコンドルパサーの取り扱い
種牡馬としては当時リーディングサイアーの地位を占め続けていたサンデーサイレンスに代わる存在として期待を掛けられ、同馬を所有する社台グループの繋養牝馬を中心として初年度から137頭の交配相手を集めました。しかし3年目の種付けを終えた後、エルコンドルパサーは腸捻転により社台スタリオンステーションで死亡。
後にデビューした馬は好成績を収めました。長生きしていれば、キングカメハメハより先にキングマンボ系の血統を広めた存在となっていたでしょう。エルコンドルパサー産駒が凱旋門賞に挑戦する姿も見てみたかったですね。
エルコンドルパサー産駒は芝、ダートで万能性を見せ、長距離レースに強く、スタミナがあることも特徴でした。