ドバイシーマクラシック日本勢挑戦の歴史

ドバイシーマクラシックにおける日本調教馬は、G2時代の2001年にステイゴールドが2頭目の参戦にして早々と初優勝。日本ではG1を勝てなかったステイゴールドが、当時の世界王者ファンタスティックライトを制す劇的な内容は日本や世界の競馬シーンに大きな影響を与えています。

それまでは芝の中距離は欧州勢が圧倒的に強いとされ、凱旋門賞に挑戦した日本馬は惨敗していたものの、ホームのジャパンカップでは勝つことが多いところまで日本競馬は成長を遂げていました。ドバイシーマクラシックは中立地で開催されることから、一定の公平な条件で芝の世界最強を決めるレースに変貌を遂げています。

5年後の2006年には、ハーツクライが圧勝。

それからは前年に牝馬二冠のブエナビスタ(2010年)、同じく牝馬三冠のジェンティルドンナ(2013年)が2着に終わるなど勝利に見放されました。

そして2014年にジェンティルドンナが再挑戦すると、苦しい展開を跳ね返す勝負根性でリベンジに成功。日本調教馬はハーツクライから8年ぶりとなる3勝目を挙げています。

不参戦の年も少なくなかった日本調教馬は、2013年から毎年遠征するようになり、頭数も増加。2016年には初めて2頭が入着(2着=ドゥラメンテ、3着=ラストインパクト)を果たし、さらに2019年のシュヴァルグラン(2着)とスワーヴリチャード(3着)、2021年もクロノジェネシス(2着)とラヴズオンリーユー(3着)の2頭が入着。白星を手にするには至らないものの、着実に存在感を増していき、ドバイシーマクラシックで日本馬が上位に入るのは当たり前の光景になっています。

そして、2022年はダービー馬シャフリヤールが待望の4勝目を挙げ、昨年のイクイノックスが5勝目でした。

今年はどんなレースを見せてくれるのでしょうか。

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